真夏のトロピカルアイスと強盗犯捕獲事件

「ホント、いい天気だなぁ」
「まぁたしかにそうだな」
「こう天気がいい日に海岸線を走らせてっと、オープンカーが羨ましくなってくんなぁ。俺もポルシェとか欲しい」
「借りりゃ良かっただろ、ロードスターでも」
 そうかも、と萩原は片目を瞑って笑った。
 青い空には真夏の太陽が輝いている。その光を受けた海面はキラキラと輝き、つまり絶好の海水浴日和と言ったところだ。連日うだるような暑さが続いていて、海でも行きてぇ、と萩原が話したところ、行きゃいいだろ、と松田は涼しくさっぱりとその提案に乗ってくれたのである。松田は趣味の所為か、ややインドアなきらいもあるが、萩原がどこか出かけようと言えば大概は付き合ってくれる。あれで意外と付き合いが良い男なのだ。
 そんなわけで2人は、世間が夏休み真っ盛りの中、その波に乗っかるようにして房総の南の方に来た。湘南の方には行き慣れているので、たまには別の方に行こうと提案したのは萩原だ。あいにく萩原の車は今車検中だったので、レンタカーを借りて南のビーチ(関東の)に2人は繰り出したのである。
「ビーチもスゴかったよなぁ」
「全くだ。子連れは多いし、どこもかしこも混んでやがるし」
「ま、その辺は仕方ねぇけど」
 何気なく回したカーラジオから、都内で強盗事件が起きたというニュースが流れてきた。
『3人組の容疑者は現金2000万円を強奪して現在も逃走中です。容疑者は銃を所持しており、警察は男たちの乗っていた白いワゴンを探して――』
「うっわ、俺らいない間にデッカイ騒動起きてんじゃん。今頃どこも走り回ってそうだな」
「俺らも刑事だったら呼び戻されてたんだろうな」
 助手席の松田はそう言って、煙草に火を付けた。運転中に吸うなよ、と割と萩原はよく言っているつもりなのだが、松田は基本的に堪え性のある男ではないし、聞き分けもまるでないのである。
「でもこれって、朝、車借りた近くじゃん。あの時パトカーに見つかってたら俺らも応援に呼ばれたかもしんねぇぜ?」
「爆弾処理班の俺らが何するってんだよ」
 強盗犯が爆弾を仕掛けて人質を取って立てこもったのなら、松田と萩原も、休みでも容赦なく呼び戻されていたに違いない。
(俺らの出番はなくて良かったってことだな)
 それに、今日は2人とももう疲れているのである。それは先ほどまで滞在していたビーチで遭遇した騒動が原因だった。

 その日2人がビーチに着いたのは午前中のことだった。明日は仕事だし、普段ならのんびり午後に出かけることも多いが、やや遠出することもあって朝一で出発したのである。朝の風は気持ちが良くて、東京湾アクアラインを通り抜けて海ほたるへ向かうドライブは非常に爽快だった。
 海を突っ切る形で関東の南の方に辿り着いたのはまだ太陽も天頂に到達していないような時間だが、それでもビーチはすでに人で溢れ返っていた。
「ひゃー、めっちゃ人いるな」
「ゲッ、芋洗いかよ」
 松田は、ギラギラと輝く陽ざしを避けるためにしてきたサングラスを外して、うんざりした表情を見せた。ビーチに来たと言っても、泳ぐだけが目的ではないのかも知れないが、本当にどこもかしこもすし詰め状態だ。水着になって泳げるのかわからないのでまだ着てきたアロハシャツの格好のまま2人は海を見た。
「あのー、お2人だけですかぁ?」
「あぁ? うるせぇ、何の用だよ」
「キャァッ」
「ごっごめんなさい!」
「オイオイ、陣平ちゃん」
 海にナンパ目的で来たわけではないが、それにしても松田は相変わらずの対応なので、これでは一緒に海に行く女の子もできないだろうなぁと萩原は思った。萩原としては、もし気になる子がいれば、別行動になったってそれは一向に構わないと思っているのだが。いやそれだと車がないので松田は困るな、と思い直した。とりあえず自分は彼を置き去りにする気はない。
「どうする? とりあえず泳ぐ?」
 横を子供たちがキャッキャと駆けていくのを松田はじっと見て、ハァとため息を零した。
「これでも神奈川よか混んでねぇじゃん」
「向こうはガキもそんなにいねぇだろ」
 そうかもなぁと思い周囲を見ていると、かき氷の店が目に止まった。せっかく海に来たと言うのにやる気のない松田をどうにか動かす前に、冷たい物でも食べたくなってきたので、ちょっとかき氷買ってくる、と萩原は海の家を指差した。
「陣平ちゃん何にする? ブルーハワイだっけ?」
「何でもいい」
「オッケー、じゃあおまかせで」
 変な味があったらそれにしてやろうと思いながら、萩原はかき氷を売る店に並んだ。
「いちご、メロン、ブルーハワイ、レモン、抹茶、トロピカルレインボー……」
(陣平ちゃんにはトロピカルレインボーだな!)
 見た瞬間にそう決めて注文をして、萩原はメロンのかき氷を選んだ。
「陣平ちゃんお待たせーって何かもう食ってんじゃん。何?」
「イカ焼き」
「かき氷と食い合わせいいか?」
 しかし、ちゃっかりと座る場所を確保しておいてくれたのはありがたかった。萩原は松田が座っているベンチの隣に腰を下ろして、トロピカルかき氷を、「お前の」と彼の横に置いた。
「ンだよ、そりゃ」
「トロピカルレインボー味だって」
「お前、人の分だと思って変なモン選びやがって」
「俺は自分のイカしか買わねぇ陣平ちゃんよかマシだよ」
 アハハと萩原は笑ってやったが、実際、かき氷とイカを一緒くたに胃袋に入れたいわけではなかった。しかし、松田は食べていた手を止めると、「食うか?」と食いかけを萩原の方に差し出したので、もっと笑ってしまった。この男のこういうところが萩原は気に入っている。
「そんじゃあひと口だけ」
 ひと口齧ってから、つか何でイカ? と聞くと、そこが一番空いてた、と松田は言った。元々は焼きそばでも買うつもりだったらしい。
「香ばしい醤油味が美味い」
「だろ?」
「にしたって、どうしたもんかねぇ」
 せめてコーラでも買ってあれば口直しができたのに、と思いつつ、醤油と海鮮に支配された口の中に甘いかき氷を運んだ。
「泳ぐ?」
「泳げんのかっつー問題はあるだろ」
「だよなぁ。俺、泳ぎたかったんだけど」
 海に入るだけなら可能だろう。いやもしかすると、海水浴場で泳ぐのがそもそもナンセンスなのかも知れない。バナナボートに乗って揺蕩うとか、うきわでプカプカと浮いて遊ぶとか、泳ぎたいのならジムのプールにでも行く方がいいのかも知れない。
(でも天気はいいし気持ちいいよな)
 平和なビーチを見ているのも嫌いじゃないな、と思う。
 イカ焼きを食べ終えた松田はかき氷を口に入れて、何だこりゃ、と言った。
「え、どんな味?」
「全部のソース掛けた味だよ」
「アッハハ、見た目のとおりじゃん」
 貝殻でも拾うか、と萩原が言うと、サングラスの下の目が細められた。
「素面でやることかよ」
「俺運転してっからビール飲めねぇもん」
「そういう話じゃねぇ」
「いいだろ、貝殻なんて海岸を歩く口実なんだからさ」
 せっかく海に来て、かき氷を食べるだけで帰るのでは、さすがに虚しいのだ。砂で城を作るよりはマシじゃんと萩原が言うと、まぁたしかに、と松田は頷いた。
「でも、砂で城作んのは陣平ちゃん得意だった気ィするけどな。ほら、昔も作ってたじゃん。近所の公園で、デッカイやつ」
「ありゃ力作だったな」
「たしかに」
 食べ終えたかき氷のカップをゴミでもう溢れ返りそうなゴミ箱に詰め込んで、2人は海辺を歩いた。泳ぐわけでもない海を見ていると、海そのものは途方もなく広いのに遊泳区域は狭いように感じてしまった。
 昔、松田と2人で神奈川の海に行った時、遠くまで遠くまで泳ごうとして、父親にこっぴどく叱られた記憶がある。松田が前へ前へと進むのを萩原は追っ掛けていただけだったが、2人で一緒に叱られた。その時、松田の手は、時折引っ張って自分の方に引き戻してやらなければならないのだと、後を追いかけていたばかりの萩原は思ったのだ。広い広い大海原で迷ってしまわないように。松田が迷うことなんて、ないのかも知れないけれど。
(陣平ちゃんだし)
 萩原はしゃがんで海水を片手で掬い上げてみた。冷たくて気持ちいいな、と思う。
「ほら陣平ちゃんも」
「キャァァ、ひ、人が溺れてる……!」
 その言葉に萩原は顔を上げた。視線の先にある海面では両手がジタバタともがいている。
「チッ、こんなところで! 萩、後は任せた!」
「あっちょっと陣平ちゃん!」
 慌てて立ち上がった萩原は、ポイと投げられたサングラスを受け取って、躊躇わずに海に飛び込んだ松田の背を見られただけだった。言った傍から、ではないが、考えた傍から、と思う。こういう時に瞬間的に正しい判断ができるのはもちろん松田のいいところだ。
(2人で海に潜っても仕方ねぇし、任された俺が今しなきゃなんねぇことは)
 萩原は近くの女性に断って浮き輪を借りて、ついでに海水浴場の監視員に溺れた人がいると伝えて欲しいと頼んだ。
「陣平ちゃーん! 浮き輪! ちゃんと受け取れよ!」
 エイッと力を込めて萩原が投げると、上手く松田の手に届いた。じたばたと藻掻く手に到達した松田は、受け取った浮き輪を藻掻く手に捕まらせた。
「陣平ちゃーん! 大丈夫そうかー?」
 松田が遠くから親指を上げたので、萩原はホッとした。彼が浜辺まで溺れた女性を連れてきた頃には監視員も到着していて、安否を確認したところ、まだあまり水を飲み込んでいなかったようで、ゲホゲホと息をしつつ、大丈夫ですと女性は受け答えをしていた。
「陣平ちゃん、溺れてる人を見ても1人で助けにいかないってのは、海難救助の基本だろ! 気を付けろよな」
「1人じゃねぇだろ。お前がいたんだから」
 シャツ濡らして悪いな、と松田は、萩原の貸した黄色いパイナップルの柄のアロハシャツの裾をぎゅーっと絞りながら言った。萩原は一呼吸分だけ言葉に詰まった。
「し、仕方ねぇな……まぁ、俺がいる時はいいけどよ」
(はぁ、どっちが仕方ないんだか)
 甘いと思う。降谷にも「君、松田にめちゃくちゃ甘いよ」と言われたことがある。実際松田は、萩原がサポートしたおかげで、木乃伊取りが木乃伊になることもなく無事に連れ帰ってくることができているので、問題も起こっていない。だからいいのだと結果だけを見て言うべきではないと思うが、大切な命を救い出した立派な友人にこれ以上説教する気にもなれなかった。萩原はきらきらと水粒が光る松田の髪を軽く触った。労うようなつもりで。
「水も滴るいい男になってんな」
 ほら、とサングラスを返すと松田はそれを受け取って顔に掛けた。
「ご協力ありがとうございました。彼女も無事なようですので」
「あーいえ、いいんですよ。市民を助けるのは俺らの役目ですからね」
 そう言って萩原は声を掛けてきた監視員の男にぱちりとウィンクした。
「俺ら警察なんで」
「んじゃ悪いが後始末は頼んだ」
 えっ警察? と意外そうな声が耳に届いた。

 とは言え、その後も何だかんだあって2人はしっちゃかめっちゃかになり、最後にはスイカ割りをする予定だったらしいスイカまでお礼にと貰い受けることになったのだが、その騒ぎで2人はドッと疲れてしまった。しかも、事件があろうがビーチに人は増える一方なので、松田はもうだいぶ海が面倒になったと言い出し、結局、松田の衣服が乾くのを待って、海岸をドライブでもして帰るか、ということになったのである。テカテカと輝く太陽の下で、10分程度で服は乾いたので、2人は車に乗り込んだ。
「さっきのでさ、警視総監賞とか貰えちゃったりして」
「溺れてる女助けてそんなんが俺らに出るかよ。もし出たら賞状の代わりに一発殴ってやる」
「アハハ、陣平ちゃん、それまだ諦めてねぇの? もうお前が警視総監なれよ」
「なれるか、ノンキャリで」
 南へ南へと進んでいくと、海水浴場の混雑が嘘のように対向車もほとんど通らず、周囲は静かになっていく。そんな静かな道路を走行していると、後ろの白いバンのヘッドライトが、まだ明るいのにピカピカッと光った。
(……白いバン?)
 何かどこかでそれを知覚したような、という妙な感覚が萩原にはあったが、見覚えはなさそうだ。
「なぁ、陣平ちゃん」
「何だ」
「俺らの後ろのバンなんだけどさ。何か変じゃね?」
 パッシングだろうか、ヘッドライトが幾度も点滅している。それから追い越すようにスピードを上げてこちらに近づいたと思うと減速したり、かなり妙な動きだ。
「うーん、こりゃあれか? 煽り運転ってヤツ?」
「お前相手にかよ。ソイツは命知らずだな」
「いやどういう意味だよ、そりゃ」
「そのまんまだろ。で、どうする?」
「どうするったって……まぁ、まだ実害はないから、って、うおっ!」
 と、言い掛けていた矢先に、白いバンは急に横から追い越して前に滑り込んできて、危うく追突しそうになった萩原はすぐに減速した。こうなることはやや読めていたし、車の運転に関してはそれなりに自信があるので対応できたが、普通に車を運転していてこういう危ない動きをする車がいたら往来の迷惑、おっかないことこの上ない。こうした煽り運転が連日のようにニュースで問題として取り上げられるのも無理からぬ話だと萩原は憤った。
「オイ、やられてんじゃねぇぞ、萩」
「しゃあねぇなぁ、いっちょやるか! 陣平ちゃん、しっかり捕まっててくれよ?」
「誰に言ってんだよ。いつでもいいぜ、こっちはな!」
 後ろに軽くバックして少し距離を取り、そこから一気に加速して前の車を追い越した。
「よし、前も後ろも車はねぇぞ、派手にやんな!」
「あんま派手にやっても後がコエーんだけど、な!」
 当然、置いていかれる形になった白いバンは急加速して追い掛けてくるが、萩原は、簡単に追い付かれるような速度は出していない。
「そっちはぶつかんねぇように気ィ付けろよ!」
 そして加速した状態のままカーブに差し掛かりそこで180度急転回させて隣の車線に移り、そのまま逆方向に走り抜けた。もちろんかなり強引な運転だ。こういうことをすると松田は景気がいいと喜ぶが、萩原としては、真面目な公務員としては、このようすを見られて交通違反の切符を切られたくないものだった。
「陣平ちゃん、さっきの車付いてきてるか?」
「いや、今のところ姿は見えねぇが」
「このままスピード上げて逃げ切りてぇけど、これ以上はスピード出したくねぇしなぁ……」
「ま、捕まりたくはねぇからな。俺も交通課に文句言われたくねぇし」
「つかアレ、何で急に煽ってきたんだ?」
「お前が何かしたんじゃねぇよな」
「してねぇだろ! つか陣平ちゃんも横でずっと見てただろ? 俺は遵法精神に溢れた警察官らしーく、間違ってもクビになんねぇように安全運転で風を楽しんでただけだって。あの車だって知らねぇし……」
 女連れでチャラチャラとドライブデートをしているというわけでもない。恨みを買うような理由はない。わざわざ反転してまで追い掛けてくるような心当たりは何もないのに、何だか既視感のようなものが頭を擡げている。そして直感で、あの白いバンはまだ追ってくるように萩原には感じられた。
「……オイ萩。一旦どっかで降りるぞ」
 その感覚は松田も同じだったらしい。萩原は松田の方をちらりと見て頷いた。静かな道路で親友とドライブをしていただけで執拗に追われるのには、何か他に理由があるのではないか。
 できるだけ林の奥の方に車を停めて、2人は車外に出た。
「あのバンに見覚えはねぇよな」
「ない、と思う。陣平ちゃんもないよな」
「あぁ。俺らに理由がないんならこの車に何かあんのか? オープンカーでオラオラ走ってたってんならまだしも」
「俺のじゃねぇけど、コイツだって、単なるレンタカーだしなぁ」
 後方座席には貰ったスイカがドンと転がっていて、使っていない水着がトートバッグに突っ込んで置いてあるだけだ。
「何かあったか? コイツ借りる時」
「んにゃ。順番待ちしてたら、ちょうど整備終わったとかでトランク閉めたの見かけて、それでいいですって感じで借りただけだぜ? 黒のマツダで良さそうだったからさ。んで、房総までドライブ行くんスよとかって雑談して」
「トランクか。そういや俺らは使ってねぇよな」
「荷物はそんなにねぇし、スイカも座席に投げちまったしな」
「開けてみるぞ」
 そう言われて萩原はトランクを開けた。
「えっ、何でカバンが入ってんだ? 俺らのじゃねぇよな」
「もしかするとコイツが追われる理由かも知れねぇな……オイ、萩。さっきのレンタカー屋に電話して聞いてみろ。変なヤツが来なかったかって」
「陣平ちゃん、この中身って」
「多分札束だよ」
 少しだけ開けた鞄の中には、松田の予想したとおり、ぎっしりと札束が詰められていた。白いバンを見て、萩原も何か既視感のようなものを覚えていたことを思い出す。何だか聞いたことがあるような、と感じた正体は聞いていたラジオのニュースだ。
「まさか……俺らを追ってきたのって」
「あぁ、多分、アイツらは東京から逃げてきた強盗犯だ」
 その時、車が停まる音が遠くから聞こえた。萩原は電話を掛けようとしていた手を止める。
「来やがったぜ」
「マジかよ。陣平ちゃん、たしかさっきの強盗犯、銃持ってるって」
「ハッ、チャカが怖くてポリ公やってられっかっての」
「いや銃はちゃんと怖がってくれよ」
 頼むから、と萩原は言ったが、拳銃如きに怯む松田でないということは重々理解している。
 萩原も職業柄犯罪者と相対することには慣れているし、犯人集団が怖いというわけではないが、やはり、彼らが持っているという拳銃が気がかりだった。多分、アメリカで銃を訓練したことがあり撃ち慣れているというようなこともないだろうし、警察学校時代の降谷のように正確に撃てる相手ではないだろうとは推測するが、銃なんて至近距離で撃たれれば外しようがないものだし、簡単に人の命を奪える非常に危険な武器なのだ。
 班長こと伊達の父親の例ではないが、非番の日でも何でも自分たちは警察官として、拳銃を所持する凶悪犯をここで食い止めるべき職業的な義務がある。松田が犯人をここで止めようと考えているのは正しい。しかし、拳銃を持っている相手とこちらは丸腰で対峙するのが非常に危険であるということもまた疑いようはないだろう。本当は県警に連絡して応援を要請したいが、音を出せば居場所がすぐにバレてしまう。相手が飛び道具を持っているのなら、できるだけ遠くにいる状態から見つかって一方的に撃たれるリスクを負いたくはないし、車体は万一撃たれた場合には遮蔽物として利用できるからここを離れるのも得策ではないと感じられた。だからと言って、拳銃を恐れない松田を無策で突っ込ませたくはない。
(どうすっかな)
 黒い車体をじっと見て萩原は考えた。先ほどの煽り運転のような行動は、恐らくだが、脅して減速させて銃を突きつけるなり何なりして2人を車から降ろすためだったのだろう。下手に体当たりをして車が事故を起こして炎上してしまえば、彼らが強奪した札束はみんな燃えてしまうのだから。
(車に乗ってる時に仕掛けられなかったのはそういう理由だよな。犯人にとって重要なのは俺らじゃなくてこの鞄の中身なんだから。だとすると、この鞄なら注意が引けるな)
「そろそろ来るぞ、萩! ヤツらが来たら、俺が突っ込んでボコすから、お前は鞄持って車の後ろに」
「陣平ちゃん、さっきのスイカってダメになってもいい?」
「ハァ? 何だよ急に」
「いや、目くらましくらいならできるかなって」
 そう言って萩原は鞄の中身をトランクにぶちまけた。万札が、バサバサと、数え切れないほどトランクの中に落とされていく。
「そんで、陣平ちゃんは絶対にタマに当たんなよ。自分の身を危険に晒すな。つか、銃なんて絶対撃たせんなよ」
「……まぁ、気ィ付けとくわ」
「約束しろ」
 フイと顔を向けるので心配になった。萩原は肩を引いて自分の方に顔を向けさせる。
(陣平ちゃんは自分の扱いがたまにすげー軽い)
 死にたいなんて少しも思わない癖に、死んでもいいみたいな無茶をする。無茶ができる。そういう悪癖だ。自分が傍にいる限り、そういう無謀は少しでも減らしたい。
(1人っきりで海の真ん中になんて行かれたら困る)
 止めたってどうせ突っかかっていくんだからこっちはフォローしてやるしかないけれど、彼に帰る意思があるかないかでは全然違うと思う。そういう意味で、義理堅い、約束を守ろうと思ってくれる松田には、その手は多分有効だ。
「――するよ。ちゃんとお前んトコに戻ってくる。つか、こんなチャチな強盗にやられると思ってんのかよ、この俺が?」
「ん、わかった。そんじゃ、俺が気ィ引いてみっから、向こうは頼んだぜ」
 右手をグーにして近付けると、松田は察して同じように拳を作りぶつけた。
 程なくして、犯人たちに、2人の乗ってきた車は見付けられた。
「誰も乗っていないようだが、乗っていた男たちは逃げたのか? まぁいい、とにかく、お金さえあれば……」
「待て。男2人だったな? まだ隠れているかも知れん。油断するな」
「何言ってんだよ、コッチは3人いんだろ! それに銃もあるしな! バンバンぶっ放してくれよ、おっさん! せっかく手に入れた銃なんだから」
「銃が何だって? あぁ?」
「ぐぎゃあっ」
 松田が最も近い位置にいた小柄な男を殴り飛ばすと、当然、銃口が向けられた。
「くっ、隠れていたのか! ど、どうすれば」
「落ち着け! もう1人いたはずだ! その男をまずは探して……」
「テメーらの狙いはこれだろ! ほらよっ!」
 車の後方にいた萩原は丸々と太った鞄を見せつけて、それを崖下目掛けて放り投げた。
「やっやめろぉ! せっかく奪った金が……!」
「待て、落ち着け! 鞄は後で回収できる――」
 銃を持った男の目が、萩原の投げた鞄に走り出そうとしたもう1人を止めようとそちらを向いたのはほんの一瞬のことだった。しかしその一瞬の隙に、松田は近づいて強烈なアッパーを喰らわせたので、その男も吹っ飛ばされてしまった。当然銃も手元から離れる。すぐに拾い上げた銃を萩原の方に投げると、残る1人を見て松田は不敵に笑った。飛び道具さえなければ松田はもう止められないし、萩原もキャッチした銃の照準をすぐに合わせる。
「さてと、これで形勢逆転だな」
「何言ってんだ、ハナっから俺らが優勢だっただろうが」
「さっすが陣平ちゃんはいつでも強気だぜ。でも拳銃持ってる方が優勢に決まってんだろ?」
「ハッ。素人が銃程度で俺らに優位なんざ取れっかよ」
 たしかに、と思った。大体彼らは運が悪いのだ。相手が銃にも怯まず近接戦闘は大得意で拳を武器にするような男だったのだから。
 一応素人ではない萩原も、銃を撃つのは特別に得意なわけではないが、決して苦手でもない。ただこの引き金を引くのは重いなと感じることはあったし、銃口を向けるということの意味もよく理解しているつもりだ。たとえその相手が凶悪犯だとしても、撃てば弾丸は確実に目の前を傷つける。それでも強盗などという凶悪な犯罪を起こした犯人を、警察官として、ここで見逃すわけにはいかない。だから銃口を向ける。被害者のために、そして自分と親友の身の安全を保障するためにも。
 もう既に2人ノしているが、松田は倒れている男の腕に足を乗せて、もう動けそうにない男にも目を配っていた。萩原は銃口を向けている。どこにも隙はない。
「大人しくしやがれ! もう逃げ場はどこにもねぇんだよ!」
「どっ、どうしてこんな……こんなはずじゃ、こんなはずじゃなかったんだ……!」
 最後に残っていた男は膝を付いて地面を叩いた。何だあっけないな、と萩原は思う。正しく松田の言ったとおり、これでは素人の反応だ。
「さてと。手錠がない時ってどうやって拘束するのがいいと思う、陣平ちゃん?」
「知るかよ。サツを呼ぶのが1番だろうが、待ってる間にコイツらが目ェ覚ましても厄介だしな……残ってるヤツも一発殴って気絶させて連れてくか?」
「アッハハ。お前も血の気が多いったらねぇな。なぁ、陣平ちゃんってばボクシングやっちゃってっからさ、コイツの拳はむちゃくちゃ効くぜ?」
 銃を下ろさないまま萩原は笑って言った。仲間2人がノされてからまるで目を覚まさず、1人取り残されている男は「逃げ出したりしないから勘弁してくれ」と助けを乞うた。
「だってよ。可哀想だからやめてやろうぜ。そういやさっきスイカに掛かってたネットがあったな。とりあえずそれでソイツの手首縛っとくか」
「あぁ、拘束できりゃまぁいいだろうな。そこの気絶してんのは、ま、そのまま後ろに詰め込んで運んで平気だろ」
「最寄りの警察署、どこだろーな。後でコイツらの車も運んでもらわねぇと」
 そーだ俺ら警官なんだぜ、と萩原は片目を瞑った。男は目を丸くする。
「け、警察……?」
「おっ、私服だとそうは見えないって? 結構言われんだよなぁ、ソレ」
「つーか、さっきも言われたな。アロハシャツの警官がいるのかって」
「はぁ、やんなっちまうぜ。俺はこんなに真面目に、勤勉に、警官やってるってのに。オフに逃走中の凶悪犯の確保とか、今度こそ警視総監賞レベルじゃね?」
「だからいらねぇっつってんだろ。貰っても突っ返してついでにそのツラに一発入れてやるっつの」
「陣平ちゃんがそーゆーこと言ってっから俺ら警官に見えねぇんだよ」
 男の手首を後ろでぐるぐると縛って車に放り、仲間の2人も詰め込んで一息吐いた。今度こそさすがに疲れ切ったので、車を出す前に一服しようかと考えていると「約束守ったぞ」と松田は言った。
「一発も撃たせなかっただろ」
「オウ! さすが陣平ちゃん」
 萩原はウィンクして、今度は握らないまま右手を挙げた。それに呼応して松田も掌をぶつける。パンッと軽い音が響いた。
「まぁお前が目ェ引いてくれてたからな」
「アレ上手く行ったなぁ。いやー、素人集団で助かったよ。手慣れた犯罪組織とかだとさ、あんな猫騙しみたいなのじゃ通用しねぇかもってヒヤヒヤしたぜ」
「……大体な、1人で向かってくってんならいざ知らず、こっちもそこまで無茶なんざしねぇよ」
「ハハ。陣平ちゃんにもそういう気遣いがあったんだな。安心したよ」
(なら、良かったよ)
 それなら自分が隣にいることにはきっと意味があるんだろうなと萩原は思った。ここにいるからと合図を送ってやるだけでも、彼にとって重要なきざはしになれるのかも知れない。だったらそれだけでもいいと思う。
「――お前がいてそんな無茶できっか」
「ん? 陣平ちゃん何か言った?」
「何でもねぇよ。つかぶん投げたスイカどうすんだ?」
「あー、あれもこっちの警察に回収頼むか」
 警察署まで連行する車内で強盗犯に話を聞いたところ、1番小柄で若い男が逃げる際にヘマをしてしまい、咄嗟に開いていたレンタカーのトランクに鞄を入れて隠したところ、そのままトランクは閉められ、更に車は借りられてしまい、店員を脅して行先を聞いて追い掛けてきたところ、運良くその車を見付けたものの、運悪く車を借りていたのが現職の警察官だった、という偶然の出来事であったらしい。
「レンタカーを借りたのがまさか警察官だったなんて」
「ま、悪いことはできねぇってことだな。これに懲りたら、真面目に働いて稼げよ」
 聞くとその男、立ち上げた会社が経営難で潰れそうになりその資金繰りのために犯罪に手を出してしまったということで、やっぱり安定の公務員が1番だな! と萩原は思った。
「はぁ、しかし遊びに出ただけで何だって事件に巻き込まれんだか」
「アハハ。俺らも何か憑いてんのかもな? 陣平ちゃん、疲れてんなら、コイツら突き出した帰りは寝ててもいいぜ?」
「人に運転任せきりで寝れっかよ」
 お前こそ平気か、と信号待ちをしているところで、急に松田の左手が頬にふれた。後部座席に眠る男を2人も殴り飛ばした手は、萩原にだけは優しくふれる。
「ど、どうしたんだよ、急に」
「別に。疲れてねぇのかって」
「……俺は、運転はいくらでも平気だし」
「そうかよ。そりゃ良かったな」
「うん、まぁ」
 また出掛けようぜ、と萩原が言うと、松田も頷いた。


カーチェイス的なの書いたことなかったジャン! とか思って~書いてみました!
春書いた時には全くの冗談で夏編って書いてたのに……こうなったら次も必要に……
あと春編で注釈入れてなかったんですけど、冬の話と同軸なので最終的にはラブラブ♥カップルになるふたりです。どうせならその辺りまで含めていずれ纏めたいところ。

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