「さてと、どうしてこんな目に遭ってるのかわかってんだろうな、あぁ? テメーがワリィんだぜ?」
松田はそう言って、睨め付けるような目で男を見た。
「テメーが、人のテスト用紙と自分のテスト用紙をすり替えようとしやがるからだ!」
「うんうん、そういうの良くないぜ。そんなんで学校生活棒に振っても仕方ないじゃん。陣平ちゃんが止めてくれてよかったな」
そのやたらと気弱そうで、オドオドとして、運動も苦手で勉強くらいしか取り得なんてなさそうですと言いたそうな男は、松田と萩原に詰め寄られて、放課後の教室でしおしおとしていた。
「うぅ、だって、君たちが悪いんじゃないか」
「あぁ? 俺らの何が問題だって?」
「君たちみたいに、チャラチャラしてて、粗暴だって結構悪そうなのに、僕よりテストの点数がいいだなんて……!」
「知らねぇよ! 本当にどんな言い掛かりなんだよ!」
男は風田川というのだが、松田の前の席の男で、今期の期末テストの解答用紙を後ろから回収して松田の紙を回収してからわざと床に落として、汚してしまったと偽り名前に消しゴムを掛けようとしたのである。
「やたら消しゴム持ってやがんなと思ってたら内側に鉛筆で逆さに名前を書いといて名前消して押し当てるとか、どういう発想なんだよ。上手く名前が転写できるかも知らねぇが、んなの筆跡見りゃわかんだろ」
「やっぱりちょっと素人の浅知恵って感じだよな。見つかったらどうする気だったん? 風田川ちゃん」
「んなアホ考えるくらいなら真面目に勉強して点数上げりゃいいだけだろ。俺らだって別にいつも満点取ってるってわけじゃねぇし」
そうそう、と萩原はにこにこ笑った。事の重大性をもう少し考えろ、と思うが、ただでさえ教師に突き出されて退学処分になるかも知れない(カンニング等行為は校則で退学等処分の対象とされている)と怯えているクラスメイトの感情を少しでも宥めようとしているのかも知れない。松田は別に、教師に突き出す気はないし、一回の過ちで退学処分にまでなるとは思わないし、その処分となったら重すぎるだろうと思わなくもない。一発ぶん殴って終わらせとくか、とは思った。
彼に試験結果を本当に捏造されたとしたら、そう悠長なことは言っていられないかも知れないが、少なくとも今ならまだやり直せると思う。いや、そう萩原は思っているのだろうと松田は思った。「オイ、テメェ今何しようとしやがった?」と松田が睨み付けた時に、その前の席にいた萩原が大事にならないようにとりなしていたのはその為だろう。
「それに、俺がテストでいい点取れてんのにはちゃんと理由があるんだぜ、風田川クン」
萩原は突然そう言うと、自分の鞄からゴソゴソと、日本史の教科書を取り出した。先ほど受けていた試験の科目は日本史だ。一体全体何が始まるんだと松田は肩を上げる。
「俺って魔法が使えるんだ。何と人の心が読めちまうんだよ」
見てみな、と萩原は、キョトンと目を丸くする風田川に教科書の今回の試験範囲に当たるページを開いて見せた。
「ココと、ココと、それからコレも……どう、何か見覚えねぇ?」
「ぜっ、全部、試験で出た単語だ……!」
「そーだろ? 出る単語だけ、全部、チェックしてある。何でだかわかる?」
「な、何が試験で出るかわかっていたから?」
「ピンポーン、大正解。なっ、すげぇだろ?」
風田川は驚いたようにパラパラと教科書を捲る。それを松田は呆れた目で見ていた。
(バカか、コイツ)
もしくは解答用紙のすり替えなんて考えるくらいだから、もう、考え過ぎて脳がイカれてしまっているのかも知れないと思った。萩原が試験問題をある程度予想して教科書にマーカーを付けているというのは事実だが、それはもちろん他人の心が読めるからとかそういう魔法ではない。単なる非常に精度の高い推測だ。
萩原は地頭も決して悪くはないが、こと定期考査という観点だけで言えば、そういうアタリを付けて常に試験に臨んでいるのである。この先生は強調した部分をテストに出す。この先生は、意地悪だから素直に公式を当てはめる問題は出さない。そういう高度な推測――いわば探偵的な人的予測を行い、ああ見えてかなりまともに授業を聞いて、分析に基づいて効率的に試験を制しているだけなのだ。だから、直前くらいまで彼女とデート、なんて荒業も不可能ではない。それ相手の女は平気なのかよ、と松田はいつも思っているが。
「で、でも、まさか、そんな……」
「すぐには信じられないと思うけどな。でも他にも今、魔法使いの俺にだけわかってるコトがある。次の数Bの授業で小テストがあんぜ? 試験終わったばっかでも、気ィ抜かずに勉強しろよな、風田川ちゃん」
(数Bの香椎は性格ワリィからありそうだな)
他にも萩原には情報ソースがある。どこから知り合ったのか松田も知らないような、学校の先輩やOB・OGと呼ばれる存在だ。
「もう妙なことすんなよ? 悪いことなんて、ゼッテェ誰かにバレんだからさ。今回は陣平ちゃんが止めてくれてよかったな?」
そう言ってにこりと優しく笑うのを見て、何となく松田はモヤっとした。
「よし帰ろうぜ。しばらく風田川ちゃんはひとりにしてやろう」
萩原は鞄を取って「じゃあな」と手を振った。陣平ちゃん、とこちらには呼びかける。
「何が魔法使いだ。ハリポタでも読んだのか?」
「アハハ。でも多分さ、アイツも今めちゃくちゃな気分なんだよ。そういうときって、いっそ荒唐無稽なこと言われた方が、変に考え込まなくていいじゃん? クラスメイトは本当に魔法使いなのか? なーんて真面目に考えてりゃ、もう変なこと思い付こうとしねぇよ、多分」
直接的な被害を受けそうになったわけではないが、あの男から侮られていたのは萩原も同じだ。それを、こんなことで人生棒に振ったら可哀想だとか、俺は別に気にしないから、と、真っ当に、単なるクラスメイトのひとりを引き留めようとする彼の善性はおそらく人として尊敬すべきことなのだろう。
「で、小テスト、マジなのかよ」
「マジマジ! 先輩たちに聞いたらさ、例年、テスト返すのと一緒に、同じ範囲で小テストするんだってさ! 付け焼き刃かどうか本当の実力を見るため、とか何とか。まぁ、定期試験ほど配点のウェイトは大きくなさそうだし、問題は違っても範囲は駄々被りのところだから心配いらねぇと思うけど」
きっとあの男は次の授業で小テストを見て、萩原を本物の魔法使いだと感じるんだろうなと思う。本当にそうではないことくらいわからないはずもないのに。それでもきっとそう思うのだろう。幾百の、彼が虜にしてきた人と同じように。そう思って、松田はまたモヤっとした。
萩原は松田の方を見ると「試験で出なかったから小テストで出そうなところ聞きたい?」と笑って尋ねた。
「陣平ちゃんになら特別に教えてやんよ、魔法使いの萩原くんがな!」
心が読める魔法使いだと言うのなら、この自分の心情をきちんと読み取ってくれればいいのに、と恨めしいような気持ちで松田は思った。