Auf in den Onsen!

「――そういえば、クニミツが日本の名物のOnsenの話をしてくれたんだ」
「ああ、温泉? あれはとってもいいよねぇ」

 日本に旅行――もとい出張でやってきてから5日ほどが経過している。Q・Pは手塚や彼の友人らから案内を受けて、日本旅行を楽しんでいるようで、連れてきて良かったとレンドールは心を温かくしていた。
 レンドール自身は、何度か日本に訪れたことはある。去年の夏ごろにもやってきたし、ドイツから遠く離れてはいるものの、それなりに慣れた場所だ。

「温泉って、要するにお風呂なんだよね?」
「そうだね。日本の地理的な特徴はキミも調べているかな? 火山が多い国だから、地中の水が熱せられた状態で湧き出すことがある。この湯を温泉と呼んでいるらしいんだ。日本は全国どこにでも温泉があって、温泉施設だけでなく、ホテルでも楽しめるんだよ」
「じゃあ、ホテルでも地下からお湯が沸き出してるの?」
「ええと……たしかパイプを通して地中からお湯を引き入れる、とかだったんじゃないかな」

 そうなんだ、と頷いて、Q・Pは手元のスマホで検索した結果を見ているようだった。
 レンドールも普段から浴槽を使うことはあまりないが、疲労回復や血行促進作用等のある温泉に肩まで浸かることは日本での楽しみの一つだと思っている。

「そうだ、キミも温泉に入ってみるかい? 実はこのホテルにも温泉があるんだ」
「そうなの?」
「大浴場があるから行ってみようか」
「大浴場……」
「日本の温泉は広い大浴場でみんなで入るんだよ」

 それを聞くとQ・Pはギョッとしたような反応を見せた。

「えっ、ローマ時代? 公衆浴場テルマエ?」
「ハハ、言われてみるとそういう感じだね」
「それに水着も持ってないよ」
「ああ、日本の大浴場は水着は着ないんだ」
「えぇっ……」

 じゃあ何も着ないで入るの? と、Q・Pはふたたび驚いたようだった。たしかにレンドールも最初は驚いた。だが、素肌に直に湯を感じる方が心地良い、これこそが温泉の楽しみなのだと思うようになったのである。きっとQ・Pもそういう異国での湯の楽しみ方を、気に入ってくれるのではないだろうか。

(いや、待てよ)

 レンドールは顎に手を当てて考える。Q・Pはとにかく人の集まるような場所が好きではないのだ。それは彼の原体験に由来するものであって、そういった負の感情は、容易に払しょくできるものではない。
 歓声にはぜひ慣れてほしいとレンドールも思っているが、そういう、単にあまり好きではないというだけのことを、慣れた方がいいとか、他人が安易に言うべきでないとレンドールは考える。もしQ・Pがそれを克服したいと言ったのであれば喜んで手伝うが、レンドールが見る限り、彼はそういうことを積極的に行いたいとは思っていないだろう。必要な範囲で他人と接触している。ちゃんと自分に好意のある相手には対応できる。ファンとも交流ができる。だから問題はない。

(でも、Q・Pにもぜひ温泉は楽しんでほしいなぁ)

 せっかくこの国での文化体験が一つあるのだから、それを体感してもらいたいとレンドールは考える。

「そうだ! ちょっと待っていて、Q・P」
「レンドール?」
「いい方法があるんだ。僕も、聞いたことがあるというだけなんだけどね」

 Q・Pは首を傾げた。

「温泉を貸し切れる場所があるんだ」

 フロントに行ったレンドールが「ホテルを移ることになったよ」と言ってから二日後、滞在の最終日の前日、Q・Pは荷物を持って東京を離れた。タクシーに数時間も揺られて辿り着いたのは、日本風の佇まいの宿泊施設――旅館だ。都会的なホテルから景色は一変し、静かな奥地に建物は佇んでいる。

「関係ホテルだから、キャンセル料を取らないって言ってくれてね。とても良いホテルだったよ」
「レンドール、もしかして、温泉の貸し切りのためなの?」
「もちろんさ」

 レンドールはにこにこと頷いたが、Q・Pは正直、驚いたのと、さすがに恐縮したのだった。
 Q・Pは学生という身分であるし、金銭的な自由も余裕もさほどないのはたしかだが、レンドールは何かと支払いを持ってくれる。この旅行の費用だってもちろんすべてレンドールが出してくれているのだ。自分の一言で余計な支払いを増やしてしまったのではないだろうか。
 いや、まったくそのとおりなのだ。Q・Pはそのことを理解していた。

 レンドールは優しい。というか、とんでもなく甘い。お金を使って甘やかすのも、多分好きでやっているのだ。バカンスにまで連れて行ってもらって、今さら言っても仕方はないことだが。
 Q・Pが申し訳なく感じてぎゅっと自分の手を握り締めていると、先に歩き出したレンドールは振り返って笑った。

「温泉は疲労回復にも効果的だからね。旅の疲れも取れるし、きっとキミも気に入ってくれると思う」

 でもいいの? という言葉をQ・Pは飲み込んだ。レンドールは、ただ自分が楽しんでくれることを望んでいる。こんなことになるなら人がいっぱいいるお風呂くらい我慢して浸かれば良かったんだ、と後悔していては、楽しめるものも楽しめない。気持ちを切り替えた方がいい。

(そういえば、温泉の貸し切りって、どういうことなんだろう)

 着物姿の従業員が案内してくれて、二人が着いたのは、和風の造りにベッドのある広い部屋だった。昨日までの部屋も豪華だったのに、それよりさらに広い。というか、広すぎる。

「こっちだよ、Q・P」

 部屋にいるだけなのに迷いそうな広さをレンドールは臆せず歩いていくと「ほら、これが温泉――露天風呂だ」と、腕を伸ばした。その先にはもちろん広いバスルーム、浴槽がある。

(大きすぎない……?)

 昨年のU-17ワールドカップでドイツ代表選手のダンクマール・シュナイダーのギガントに慄いた相手チームの選手が「デカすぎんだろ」と呟いたと聞く。彼の凄さはその巨大さだけなどではないが、ドイツチームのなかでも圧倒的なインパクトを与えたことだろう。

 それはさておき、その一部屋に収めるのが奇妙なくらいの大きさの浴槽にQ・Pは圧倒されていた。しかも外が見える。風が吹き抜けている。

「どうなってるの……? 外?」
「露天風呂というのは、野外に設置されているお風呂のことなんだ。温かいお湯に浸かりながらほんのりとした涼しさも感じられる。空気も眺めもいいからね。あぁ、もちろん、外から人が覗くようなことはないから安心していいよ」
「誰も来ないの?」
「うん。僕たちしか使わないから、安心して二人きりで温泉を楽しめるよ」

(二人きりで?)

 Q・Pは、レンドールが真剣に考えてくれている感情の半分くらいしか、それが楽しみだとは思っていなかった。疲労回復と言われても、いつも以上に練習をしているわけではないこの環境で、それがありがたいと思えるほど疲れてはいない。むしろいつもよりレンドールといられて調子がいいのだ。今からでもフルセットで試合ができる。それくらいの体力だ。

(じゃあレンドールと二人でお風呂に入れるってこと?)

 だが、それなら話が違う。大分違ってくる。
 Q・Pは薄っすらと聞き調べた温泉の知識が、ローマの公衆浴場から切り替わっていなかった。貸し切りと言われてもぴんと来ていなかった。冷静に考えれば、人が来ないように貸切れば当然、入るのは自分たち――レンドールと二人、ということになる。

 二人きりで。日本の温泉は水着を着ないから、裸で。

(それって)

 それって、やっぱり、えっちな展開になるのでは?
 いや、あのレンドールが日本文化を堪能させたいということ以外に考えているとはQ・Pには思えない。Q・Pは恋人の真面目さを寸分の狂いなく理解している。そもそも一応はレンドールの出張に付いてきているのだし。こんな場所にまでやってきて出張も何もない気がするけれど。

「すぐ入る? さすがにまだ早いかな。夕食を食べてからかなぁ」
「そ、そうだね」
「料理も日本食を部屋に持ってきてくれるらしいよ。旅館スタイルなんだって」
「そうなんだ」

 Q・Pがそれらの恋人の発言を聞いたときには完全に気が散っていたのだが、実際にテーブル一面に用意された食事は、とても豪華なものだった。もちろんここに来るまでにもレストランや料亭と呼ばれる高級飲食店へも連れて行ってもらっていたのだが、それらと比較しても遜色がない。普通のホテルでなら、レストランでフルコースを取ることはあっても、部屋でこのような料理が用意されることは少ないだろう。

「日本文化らしい料理だね!」
「うん。すごく豪華」

 部屋のグレードに料理を合わせるのなら、豪勢な食事となるのも当然だ。日本では食事のメインは夕食。夜に豪華な料理を食べるのは必然。逆に、昼は食事が付かないプランがオーソドックスなようだ。
 こういう場面なら日本のアルコール、日本酒というのを飲んでもいいのでは、とQ・Pは勧めたが、自分だけそういうものを飲むつもりはないとレンドールは固辞した。自分に合わせてくれるのをうれしいと思わないわけではないが、申し訳ない気がする。ビールくらい飲んでもいいのに、とQ・Pは考えながら、オレンジジュースを飲んだ。

 テーブルいっぱいの料理を美味しく食べて、ゆっくりとそれらが消化された頃に、「それじゃあ温泉に入ろうか」とレンドールは笑顔で提案した。

「お湯から上がったらこれを着るんだって。浴衣だよ」
「へえ。日本のバスローブみたいなもの?」
「多分そう」
「薄くて軽いね」

 バスローブと違い、時期によっては寒そうな気がするが(とは言えこの部屋の空調は温度を常に快適に保っているので問題ないのだろうが)、湯上りにはちょうど良さそうだ。
 準備をして脱衣室に向かうときには、何か起こるかも知れないというドキドキよりも、Q・Pも未知の文化への興味が勝ってきていた。
 レンドールはQ・Pのことを気にするようすもなく衣服を脱いで、ハンドタオルを持って浴槽に向かっていく。同性同士なのだから普通なのだが、恋人同士としてはどうなのか、と疑問に思っても仕方ないので、Q・Pも着ていた服を脱いだ。ふわふわでやわらかいハンドタオルは、日本の特産品の一つであるらしい。
 向こうが気にせずともこちらは気にするので、タオルで身体を隠しながら近寄ると、レンドールはもうお湯に浸かっていた。

「まずは身体をお湯で流して」
「うん、わかった」

 湯に入るにも作法があるらしい。たしかに汚れたまま――別に何もしていないので汗くらいだけれども、湯に入れば、湯に悪影響だろう。ここは源泉かけ流しという仕組みになっていて、新しい湯がじゃぶじゃぶと流れてくるのですぐにきれいな湯へと循環していくようだが、気持ち的には良くないということだろうか。
 湯の温度は少し熱い。普段のシャワーよりも温度が高めに設定されているらしいと思いながら、ゆっくりと足を浴槽に入れた。
 湯温はやはり熱く感じる。だが臆せずに肩まで身体を沈めた。

「……気持ちいい……」

 レンドールの視線がこちらをじっと向いた。

「レンドール?」
「……あ、ああ、とても良いものだろう?」
「うん。肩まで浸かったのなんて久しぶりだよ」
「お風呂に入ると疲れが取れるって日本の友人は言うんだけど、たしかにそうかも知れないね」
「うん……本当に」

 疲労感など感じていなかったはずの身体の隅々に、じんわりとした温かさが染み渡っていく。心地良い。全身に知らず溜まっていた疲労というものが抜けていくようだ。
 ほうっと息を吐いて浸かっているうちに、時間は悠然と過ぎていく。風の音、遠くの鳥の声、薄暗い空を彩り始めた星の灯り……。

「気に入った?」
「すごく気持ちいいよ」
「うん。気持ちいいね……」

 湯に浸かることはとても心地が良い。自分でもそう思って、そう口に出したのだが、レンドールが言ったのを聞くと、Q・Pはドキッとした。表情も緩んでいるというか、火照っているというか、いつもとは違うし、そもそも今は二人とも、裸だし。

(やっぱり……)

 これは、えっちなのでは。
 今がえっちな状況だというか、何かそういう流れになるんじゃないだろうかという話である。

 火照った顔に冷えた風が吹き付けてきた。何かを咎めているのかも知れない。冷静になれと。
 レンドールは出張。仕事。当然そういうことを考えてはいないし、すべきだと思っているはずもない。
 けれど、火照った顔とそれに呼応するような熱を帯びた視線に感じられてしまう。

(レンドールは)

 幼い頃から自分を大切に想ってくれた恩師で、ドイツ代表監督で、Q・Pのカッコイイ恋人で――。
 恋人だから、こういうときに――……。

(頭が……クラクラしてきた)

 それは恋人と過ごしているからだ、と思った。
 いや違う。本当に視界が歪んできた。

「Q・P? どうしたんだい? 大丈夫?」
「頭が、ふわふわして……」
「わーっ、大変だ! ちょっと上がろう! 上がって!」

 ザバーッと湯から引き揚げられたQ・Pはレンドールによって手早く水気を取られ、浴衣を着せられて、畳に寝転んだ。
 目の前がチカチカしている。レンドールはぱたぱたと何かで風を送ってくれている。

「……ごめん、レンドール」
「いや、僕の方こそ。慣れない温度だから、キミがのぼせてしまわないように気を付けておくべきだったよ」

 のぼせたのは湯の所為だけではないような気もするけれど……。
 風を浴びながら休んでいると、ぐにゃりと歪んだ視界が元通りに戻っていく。レンドールの顔がようやくはっきりと見えるようになった。心配そうな瞳に少し胸がキュンとする。
 自分を見る視線に気づいたのか、レンドールは扇ぐ手を止めて、右手をQ・Pの方に伸ばした。指先が頬に触れる。少しだけ自分よりも温度が低い。

「大丈夫?」
「うん……。でも、ゆっくり楽しんでたのに、ごめん……」
「気にしなくていいんだよ。ちょっとアクシデントはあったけど、温泉は良いものだっただろう?」
「うん。疲れが取れた気もするよ」
「良かった。キミがそう思ってくれたならいいんだ。温泉ならまた入ることもできるからね」

 レンドールの手が頬を撫でた。

「キミは肌が白いから、もしかしたら、熱いお湯には気を付けた方がいいのかも知れないね」

 レンドールの手はうっとりするほど心地良い。きれいな草色の畳からはほのかに草のような独特な香りがした。
 顔を上げて見ると、彼の方も浴衣を身に纏っている。レンドールはいつもきっちりとしたスーツ姿で、休日もあまりラフな格好はしないから、こんなに薄着なのは珍しい。彼は現在は指導者ではあるが、鍛えているらしく特に腕にはしっかりと筋肉が付いている。以前にもQ・Pは抱きかかえて運ばれたことがある、とても逞しい身体だ。

「Q・P、大丈夫? まだ顔が紅いようだけど」
「全然大丈夫」

 この状況で浴衣姿に見惚れていただけだとまで言うのもさすがに恥ずかしいので、Q・Pは首と手を振って問題なさをアピールした。のぼせていると言えば、大好きな恋人にはいつものぼせている気がしなくもない。

「平気そうだったら水を飲んでおいた方がいいよ。水分が抜けてしまっているだろうからね」

 そう言われてコップが差し出されたので、Q・Pは身体を起こして水を飲んだ。喉を通り抜けていく水は冷たくて美味しい。何となく、いつも飲んでいる水とは違う気がする。硬度の関係だろうか。
 湿度の高い国は浴室でなくとも少し湿った空気が漂っている。レンドールの目が穏やかにQ・Pを見つめていた。

「レンドール?」

 もう大丈夫だよ、と言うと、レンドールは軽く首を振った。

「あぁ……うん。珍しい姿だからね。キミに見惚れてたんだよ、青い鳥」

 似合ってるね、とレンドールはにこにこと笑った。
 やっぱりさっきそう言った方が良かったのかも、とQ・Pは思った。慌てて、「レンドールも似合ってる。かっこいい」と言うと、レンドールは笑って、Q・Pの頭を撫でた。

「朝もう一度入るのもいいかも知れないね」
「うん、そうしよう、レンドール。次は気を付けて入るから」
「ふふ、気を付けて入った方がいいのはもちろんだけど、キミに何があっても僕がいるから大丈夫だよ」

『レンドールってちょっと強引なのかも』
「えっ……?」

 Q・Pが日本に監督と手塚と旅行に行ってきたという話をミハエルは電話で聞いていた。
 プロ選手となったミハエルは、現在、忙しい身の上である。試合は全世界規模で行われるため、あちこちに飛び回らなければならない。まだトップ選手のボルクほどではないが、海外のホテルでの生活にも少しずつ慣れてきたんじゃないかと思うようなころの電話だった。

 ミハエルとQ・Pとは緊密に連絡を取り合っているということでもないが、Q・Pは割と気にしてくれているようで、試合があれば連絡をくれたり、近況を話してくれることがある。先日も、バカンスに行ったということを淡々と教えてくれた。そして、彼の恋人――多分、についても。
 何かあったら相談するかも、とか言っていた気がするが、そういう電話はこれまでにない。まぁあの人となら問題とか何もないだろうしな、とミハエルは思う。
 Q・Pの恋人(多分)(実ははっきり確認したことがなかった)は、U-17ワールドカップで世話になった監督、レンドール氏である。無論その地位にある程度には年齢が上の相手なのだが、Q・Pならさもありなんというか、Q・Pが彼に懐いていたのは観測上明らかであるので、まぁそういうことも世の中にはあるのだろうと思うくらいである。
 まだ『多分』なのは、あまりそういう話がされていなかったからだったわけなのだが……。

「Q・P、何の話だ、ソイツは」
『日本に旅行に行ったときの話だよ。貸し切りの温泉に入るために、最終日の宿泊だけわざわざ宿を移ったんだ。山奥で雰囲気の良い場所だったよ』
「なんだ。そういう話か」

 ちょっとホッとしたミハエルである。

(生々しい話だったらどうしようかと)

 友人や仲間内でそういう話をするのは構わないのだが、さすがに、相手にもよるというか。何せあのQ・Pなのだ。

「監督が強引に宿を変えたんで驚いたって話だな?」
『そう言ってるよね。嫌なわけじゃないんだけど。温泉もとても良かったから』
「なら別にいいだろ? 監督オッサンがQ・Pに金を使いたいんだったら、好きにさせときゃいいだけで」
『オッサンはやめて』
「Okay Okay」

 そもそも、それはわからなくもないなと思うミハエルである。相手がQ・Pだから、なのか、それとも監督だから、なのか、完全に分けて考えるのは困難であるが。ともあれ、若くて可愛い(監督の主観)恋人にお金を使うのはむしろ自分のためではないだろうかと思う。
 Q・Pだって、ちやほやされているのが好きだろう。いや、それは誤解を招く言い回しだなとミハエルは改める。とは言えいつもボルクやら手塚やらがQ・Pの傍にいたのを見ていたし、監督もQ・Pを可愛がっているのはさほど隠していなかったし。

『一緒に温泉に入ったんだけど』
「へー、意外だな」
『何もなくて。そういうのって普通なの?』

 急にそれらしい話が戻ってきたのでミハエルはガクッと頭を前に落とした。

「……そりゃ……恋人としてってことか?」
『うん。ミハエルはどう思う? 旅行に行って、それだけって』
「あーまぁ……そりゃ、めちゃくちゃ大事にされてんだろーなぁ」
『そう思うの?』

 何気にさっきの『多分』という文字が今の会話で消えた。

(つか監督の自制心すげぇな)

 旅行に行って、同じ部屋で寝泊まりして、手を出さないって。同じ男として(Q・Pも男だが)さすがに信じられない。Q・Pだって別にコドモじゃないんだし。まぁまだ17か。いやそのくらいの年齢なら、別に、普通に、ヤるだろう。むしろそういうことへの興味もヤる気も十分すぎるくらいだ。
 幸い(かどうかは不明)、Q・Pにはそもそもその手の経験がないらしい。これまで恋人なんていない、興味もない、という感じだった。そもそもどっち側を想定しているんだろうとかいう考えない方が無難な疑問は棚に上げるとして。さっきの発言からするにレンドールが自分を、という気分でいるんだろうがというような予測をミハエルは脳内から叩き出す。

『全然そういうことがないから、ボクが相手だとそういう気にならないんじゃないか、心配になってきたんだ』
「オレに聞くなよ。知らん。知らんが、それなら恋人にはならないんじゃねぇのとオレは思う」
『そう。ありがとう、ミハエル。参考になったよ』

 そもそも監督は自分たちより若くないから、ガツガツしてないのかも知れない。ミハエルは監督の正確な年齢までは別に知らないが、10か20くらいは上なんだろう。それくらいだと若い恋人に比べて焦らない――いや逆にこの年齢だと若い恋人が取られまいと焦らないのだろうか? Q・Pに限ってそんなことは全然なさそうだけど。

(案外Q・Pの駆け引きが下手とか?)

 『めちゃめちゃ若くて美形の恋人(しかもテニスの技術も一級品)』とかいうとんでもなく強いポジションにいるんだから、もっと焦らしたり、他の人に惹かれるような素振りとかしてみたら、あっさり手を出してくるのでは? ていうか現状でもQ・Pに惚れてるっぽいのが他にいるんだし。
 が、そんなことをするQ・Pはどこにもいなそうだ。Q・Pは本当に監督が大好きで、夢中で、周囲が彼に抱くクールそうなイメージに反して、その態度もハッキリしすぎているくらいに素直なんだろうなとわかる。喜んで旅行に連れ回したがるレンドールの気分がミハエルにもなぜかわかるというものだ。
 アストリットだってもっと素直でいいんじゃないかとミハエルさえ思うときがあるというのに、意外にもQ・Pにはそういうものがない。

(……結婚するまで手を出さないつもり、とかだったりしてな!)

 何だか真面目そうな監督ならあり得るんじゃないかと思えてミハエルも笑える。ワールドカップでのQ・Pの発言ではないが。
 監督は生真面目で融通が利かないというような人ではない。むしろユーモアはあるし結構おもしろい方の人だ。それにとても大らかで優しい。彼は単に考えが大人として正しく整っていて、そしていつも正しく在ろうとしているというだけだ。それを真面目、真っ当と人は言うのである。監督は非常に真面目な大人の男だ。
 たまに『青い鳥』とか呼んでいるくらいだから、めちゃくちゃ大事で過保護なだけなんだろうなぁとミハエルは思う。例えば自分がQ・Pの父親なら(この想定は彼が孤児だから思い付いてしまうのではないかというものだ)、子どもに手を出すなんて許さないぞと思っている的な。まぁ、何もかも推測なのだが。

 恋人を貸し切りの温泉に連れていったレンドールは、その夜、彼を連れて行ったことを思わず後悔しそうになっていた。

(あ、危なかった……Q・Pがあんなに色っぽいことになっちゃうなんて……)

 真っ白な肌がお湯でピンクに色づいていて、心地良さにうっとりとした表情には何とも言えない色気が感じられた。あのまま長く湯に浸かっていたら、何にも憚らずにそのまま手を出してしまっていたかも知れない。Q・Pにはたいへん悪いが、のぼせてくれて、自分の目を覚まさせてくれて本当に良かったとレンドールは安堵していた。
 レンドールは自身の立場や社会的な責任のある大人として、18歳未満の少年に手を出してはいけないと自分を戒めている。如何にその容姿が大人と変わらずに成熟しているものだとしても。明晰な頭脳が大人と寸分違わぬほどの良識を有しているのだとしても。

 Q・Pは二つ並んだ布団の横で、くうくうと眠っている。この浴衣という日本式のパジャマも、胸元が開いていて、視覚にかなり訴えてくる。恋人のいろいろなすがたが見られるのはうれしいけれど、レンドールも、理性とか自制心とかをきちんと働かせるのは、別に簡単なことではないのだ。

(いやいやいや)

 そんなことで揺らいでいるようでは彼の恋人でいる資格なはないだろう。レンドールは今一度、強く自戒する。

(そういうことを考えるのは、絶対に、ダメだ……!)

 レンドールは自分のなかにある欲求をその日できっちりと追い払って、翌日は心穏やかに温泉に浸かったのだった。


タイトルは「温泉に行こう」のドイツ語です。ジェミニに翻訳及び文法解説をさせて選びました。便利! AI! 今やAIが小説を書くこともできる時代となっているようですが、己の思想を強く反映するCP小説はやっぱり自分で精魂込めて書くに限りますよね~。

話はmeinen2を書いてる途中で書いてたものですが、作中に入れなかったのはミハエルのツッコミを残したかったからです。meinen2はQ・Pとレンドールの視点の交互だけにしようと思っていたので、ミハエル部分を入れるなら別立てにしようかなと思いました。似た感じでぼちぼち書いたのをまた上げる予定です。
レンドールのラスト部分だけは後から加筆しました。さっき書いた。そういやレンドールにその気がなさそうな感じでばっかり本編でも書いちゃってたけど結構こことかだってドキッとしてるんだよねレンドールくん! って思って。

そもそもはお風呂に入る自カプがだいすきなのにドイツ人はそういうことしなそう! って嘆いて書いた気がします。あと金のあるレンドールの話が好きなんで。

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