朝二人が目を覚ましたら、中身が入れ替わっていた。
「えっ、ど、どういうこと?」
レンドールはそう自分で口にしたつもりだったのだが、その声はいつもの自分の声とは違う。Q・Pの声だった。
「どうしよう、レンドール。ボクたち、中身が入れ替わってるみたいだよ」
慌てたようすでレンドールの部屋にやってきた人物の方は、自分の顔をしていて、もちろんその声もいつもの自分の声だったのだ。夢かな、とレンドールは最初考えた。もう一度布団に入って目を閉じて眠れば元に戻っているかも知れない。
いや、そんな悠長に二度寝をしているような場合ではないのだ。今はU-17ワールドカップの真っ只中。監督であるレンドール、そして選手であるQ・Pは、寸暇を惜しんでいられない状況にある。幸い、今日はドイツ代表に試合の予定はない。
「この前観た映画にもあったよ、こういうシチュエーションが」
「それは、映画の話だよね」
「うん。でも実際にボクたちが入れ替わってしまっているのは事実だから」
自分の顔が、自分の声が、自分へと向けられている。
(真顔の自分の顔ってちょっと怖いな……)
Q・Pは、美しく整った顔なので、表情が変わらなくともあまり気にならないものだが、自分の表情が固まっているのを見るのは少々不気味だ。鏡でだって見たことがない。
レンドールは口角を上げようとして、その表情の変わらなさに驚いた。筋肉が固まっている。これでは動かそうにも動かないのではないだろうか。
「えっと……それで、どうしようか」
「うん。とりあえず、急にボクとレンドールが入れ替わったなんて言われてもみんな困ると思うから」
「そうだね。今は大会の期間中で、中学生も多くいるし、みんなを動揺させてしまうのは困る」
「ボクはレンドールのフリをするよ。レンドールはボクの代わりをしてくれる?」
「うーん……あんまり自信はないんだけど」
「大丈夫だよ。今日の予定は練習だけだから。ボクのトレーニングについてはレンドールも知ってるよね? 壁打ちだけでも平気だよ」
たしかにレンドールはQ・Pの状態やトレーニングについてを把握しているので問題はないだろう。
(それに、何だか身体が軽い……)
顕著な年齢の差である。普段よりレンドールはQ・Pとかなり年齢が離れていることについての自覚が強くあった。何ぶん出会ったときには5歳だった少年だ。どれほど大きく、逞しく、そして美しく成長していたとしても、レンドールのなかではずっと、守ってあげたい子どもなのだから。
ともあれ若く健康的な身体が、30歳を越えた壮年期に近い己の肉体よりも軽やかであることは間違いないのである。つまり今Q・Pは、何だか身体が怠いとか重いとか感じているのではないだろうかと心配してみると、腕の筋肉を触っていた。
「Q・P?」
「レンドールは筋肉がしっかり付いてると思って」
目線も違うね、と彼の視線は下方にある自分の方へと向けられる。なるほどこれはたしかに新鮮な風景だとレンドールは感心していた。見上げるということは、こういうことなのだ。
Q・Pの身体が軽いと感じるのは、年齢によるものだけでなく、そもそも自分と比べてかなり華奢だからなのだと思う。すらりと細い腕と脚は、ここからあの強烈なストロークが放たれることが信じがたいほどだ。
「とりあえず、着替えてもいい?」
「ああ、うん、そうだったね。そっちにスーツがあるから。あ、まだ顔も洗ったりしてないし」
「大丈夫。あっちを借りるね。レンドールにも、ジャージを持ってきたから、着替えて」
「ありがとう。さすがキミは気が利くね」
二人が支度を整えて、レンドールがようやく己の肉体としてQ・Pの身体を意識し始めてきたときに、コンコンとノックの音が響いた。
「監督、少々いいですか?」
主将のボルクの声だ。二人は思わず顔を見合わせる。
「ボクが出るよ」
「平気?」
「任せて」
そう言うと、自分の顔がにこりとほほえんだ。それは決して、自分にとっては多分不自然ではない表情で、それをスムーズにQ・Pが作ったのでレンドールは驚いた。彼はほとんど笑わないのに。彼にとっての自分は『そう』なのだろう。
隠れていて、と言われて、レンドールはクローゼットのなかに入った。何だか密かに会話を覗いているようで気が咎めるが、自分の状態を確認しておかないわけにはいかない。
「入っていいよ、ボルク」
自然な自分の声が部屋からは響く。ボルクはデスクに座るQ・P――レンドールの身体に近付き、次の試合のオーダーについてと話し始めた。
「シングルスについてはS3手塚、S2Q・Pで決まっていると思いますが、ダブルスについては、まだダンクマール及びベルティが到着していないので」
「ああ。彼らの予定は次の次の試合からだ。その間のD1はミハエルとフランケンシュタイナーくんにという予定で、D2についてだろう?」
「すでに監督のなかではオーダーが決まっていると言っていましたね」
二人の会話を聞いていたレンドールは、ボルクの言葉にクローゼットのなかで頷いていた。たしかに彼にはすでにオーダーは決めてあると話していた。ワールドカップの試合のオーダーは監督が決めるものだが、主将である彼の意見はレンドールも重要視しているので、必要であれば協議を行うことも辞さない。
だが、次の試合についてQ・Pには特に話していなかった。
「アルノーとデニスだよ」
(僕が考えていたとおりだ!)
自分の唇から発せられた言葉が自分の考えとそっくり同じだったので、レンドールは驚いた。
「理由を聞いても?」
「どちらかと言えばデニスの方が気になるのかな」
「アルノーの方ならばこちらも予想していました」
「そうだね。でも僕はデニスの方にむしろ期待しているんだ。練習試合の結果を見ると、他の選手に比べて伸びしろが大きいだろう?」
「ですが、まだ水準に達していないとも言えます」
「次の試合で彼は必ず成果を上げてくれるよ」
一言一句、自分が考えていたのと変わらない言葉だったので、レンドールは自分が夢のなかにいるのではないかと錯覚した。目の前にいるのは本物のケン・レンドールで、自分は偽物のケン・レンドールで……。そんなことがあるんではないだろうか。まるでハイネの詩に出てくるドッペルゲンガーが目の前にいるようだ。いや、ドッペルゲンガーは自分と同じ思考をしているとは限らないのだが。
ボルクが去ると、ケン・レンドールのすがたをした人がクローゼットのドアを開けた。
「問題なかったよね、レンドール?」
「あ、ああ。えっと……うん、そうだね。でもよくわかったね?」
「レンドールの考えていることならわかってるよ。ボクもドイツ代表の参謀だからね」
(さすがQ・Pだなぁ)
代表チーム入りする前には、チームのために戦うことはできないとまで言っていた彼が、今ではチームのなかでも頼られている存在となってくれたことにレンドールは感激していた。そのうえ彼は監督である自分の考えもよく理解してくれているのだ。何と頼もしいことだろうか。
「そうだ。ボルクと会ったら、もしかしたら昨日話していた内容について何か言われるかも知れないから」
「ああ、話をちゃんと合わせないといけないよね。何の話をしていたの?」
「ハイネの詩」
「……。そっちもハイネなのかい?」
「え?」
「あ、いや、何でもないんだ」
「そう? ローレライの詩についての話をしてたんだ。話は尽くしたけど、もしかしたらボルクが何か補足したいことがあるかも知れないから、言われたら聞いておいてほしい」
「わかった。彼との話はちゃんと覚えておくよ」
その後レンドールはQ・Pから、ハイネの詩にメンデルスゾーンが曲を付けたものがあるという話も追加で聞いたのだった。
*
午前中のレンドールの仕事がつつがなく終わったことで、Q・Pはホッとしていた。ワールドカップの期間中ということもあって、対応すべき他の案件はない。試合と試合の中日である今日のような日では、選手たちは練習と休息を、そしてここまで多忙を極めていたコーチ陣にとっても一息入れてほしいため、ミーティングなどは行わないとのことだった。
Q・Pは監督としてのレンドールの考えは熟知しているが、普段彼がどのようなやりとりを行っているのかを完全に把握しているわけではない。どういう話し方をするのか、どう対応するのかはわかるけれど、ある人との距離感まではさすがにわからない。なので、会議等の予定がないことは幸いだった。
「特に変わりなさそうですね、レンドール監督」
「そうだね。みんな練習熱心だし……」
隣を歩いているのはドイツ代表チームのヘッドコーチで、彼とレンドールとのやりとりはよく見るので、Q・Pが多少会話をしても問題ない相手だ。レンドールはこういう場でプライベートな話を行わないということも追い風だった。余計なことを言わなければ疑われずに済む。
歩いているとボールの音が聞こえてきたのでふとQ・Pが視線を送ると、そこには自分がいた。もちろん正確に言えば、自分の身体を使っているレンドールがいたということだ。
Q・Pだってもちろん、朝から今までずっと、強い違和感を抱き続けているのだが、レンドールの方は、「Q・Pは落ち着いているね、すごいなぁ」なんて褒めそやしてくれる。しかし正直に言うと、かなり動揺しているのだ。片想いの、届かない恋の相手の身体が、妙な形で手に入ってしまったかのようなこの感覚は本当に名状しがたい。今自分の身体を抱き締めたらそれはレンドールを抱き締めていることになるのか? 今のうちに彼のプライベートをもっと知りたいと思うけれど、他人のプライバシーを暴くのは倫理的に問題があるだろう……。
自分の身体は躍動感にあふれていた。どうやらミハエルと練習試合を行っているようだが、そのすがたは、まるで自分ではないかのようだ。
(あれってもしかして、現役時代のレンドールの動き? すごく力強くて、カッコイイ……)
思わず足を止めて見入っていると、ヘッドコーチが隣で苦笑した。
「レンドール監督、またQ・Pばかり見てますね?」
思わずQ・Pが横を見ると、彼は笑っている。
「いえ、もちろん問題はないんですけどね。今さらですよ。あなたにとって、Q・Pはとても大切な存在なんでしょうから。ええ、いつも目で追ってばかりでもね」
Q・Pは言葉に詰まった。それを、ばつが悪いと感じているようだとヘッドコーチは捉えたらしい。見てていいですよ、とばかりに彼は先に行ってしまった。もちろんQ・Pにはそんなつもりはない。レンドールの身体は今レンドールのものではないのだから、つまりこれはレンドールの行動ではない。ただ自分ではない自分を見るということ、どのように過ごしているのかを邂逅した時点では確認しておく必要があると思った程度のことだ。
心臓がトクトクと揺れている。これは自分のものではない。でも自分の胸の鼓動だ。指先が微かに震えて、ため息を落とすようにまなざしの先を見る。
――青い鳥。
彼は、いつもこんなふうに自分をまっすぐに見つめてくれているのだろうか。
*
同時刻、コートで打ち合っていたレンドールの方も、Q・P――もちろん今の身体の持ち主の方――が見ていることに気が付いた。Q・Pは、自分がそうするように手をひらひらとこちらに向かって振ったので、こくりと頷く。やはり彼がそうするように。
(向こうは大丈夫かな? Q・Pのことだから、心配する必要もないとは思うけど)
大人よりもずっと大人びた少年だ。レンドールが気を揉む必要なんていつもないと思うくらいにしっかりとしている。とは言え一大事は一大事。Q・Pはそれほど動揺を見せなかったが、大会期間中にこのようなアクシデントが起こるなんて――もちろんレンドールにだって防ぐ手立てもないのだけれど。今ですら、まだ夢を見ているような気がするのだ。華奢な腕と脚が自らの意志で伸びやかに動き、ラケットを振りボールを追い掛けているなんて。
「オイオイ、Q・P。試合中に余所見してんなよ」
ボールを打ち返したミハエルが笑いながら言うのが聞こえた。良いコントロールだと思う。先ほどの返球位置から遠い。だが、Q・Pの身体の速度ならば十分に返球に間に合った。さすがボルクも『究極の肉体』と賞賛する身体だ。どこまでも速く、軽く、動ける。
ミハエルの方も、球威、速度ともに手を抜いていないと感じるほどだが、合間に声を掛けるだけの余裕を見せている。Q・Pとは一歳差だが、ミスター・タイブレークの名に相応しいスタミナを持つ選手だ。
「ま、大好きな監督が来てくれたんじゃな。だからって集中してくれねぇと困るぜ、参謀!」
なんてことを急にミハエルから言われたので、レンドールはギョッとした。一瞬のその隙の所為で彼のスピードに追い付けなくなりそうになり、焦ってボールを追い掛ける。いや、今の状況から彼のこと、自分の身体のことをレンドールが気にしてしまうのは仕方がないことなのだ。しかし彼が口にしているのは現在の状況認識とは違う。そう思って、瞬間的に熱が上がったような気がした。
今自分の唇から出てくるのと同じ声が「レンドール」と呼ぶ声が耳の奥に蘇った。久しぶりのハードな運動に逸る鼓動の音が、また一段と早くなったような、そんな気がした。
どういうこと、なんて問い返す暇もない。もし本当のQ・Pだったらどう返す? このボールには追い付けるのだろうか?
コートの向こうからの視線に答えを問いたいと思ったけれど、ただこちらを見遣る視線がそこにはあるだけだった。
*
夜になって、自由時間にようやく二人はまたレンドールの部屋に集まることができた。
「今のところ大きな問題は起こっていないと思うんだけど、どうかな?」
「うん、大丈夫だったよ」
Q・Pが頷くと、Q・Pの顔をしたレンドールはホッと安堵する表情を見せた。いつも鏡で見る顔が、無表情、まるで能面のようであるとは自覚しているので、わずかでも緩んだ口角に驚かされた。対するレンドールはいつも穏やかで優しい表情を浮かべているので、人前ではQ・Pもそうするよう意識していたけれど、鏡で見ると無表情になるので、まるで彼ではないかのようだった。実際、中身が違うので、彼ではない。
中身という曖昧な言い方――いわゆるゼーレであるとかアニマやアニムスであるとか、これはそのように言うべきであるのだろうか? Q・Pはボルクと哲学者シラーの話をしたときに話題に上った『美しい魂』についての論を思い出していた。そうつまりレンドールという人にはそれが宿っているとQ・Pはそのときに思ったのである。
――という話はさておき、いわゆる入れ物に入っているゼーレに対して、果たしてどれほどの人が『違う』と納得するのだろうかと思う。要するに今自分はレンドールであるのかQ・Pであるのかという疑問が今さら湧いてきたのだった。
「それで、試合後にミハエルから、今日は少しようすが違うみたいだと言われてしまったんだ。ごめん、もっと注意深くすべきだったよ。慌てて、もっとキミらしく振舞わないとって、クールにしようと努めたんだけど」
(レンドールにとってのボクってクールなんだ)
普段わざわざ聞かないから知らなかった。Q・Pは首を横に振って「平気だよ」と答えた。
「元気がないんじゃないかとか、落ち込んでるんじゃないかとか、そういう心配をしてくれているだけだと思うから」
「そっか。戻ったら問題ないって伝えておいてほしい」
「Ja. ボクの方も――ええと、いつもより仕事が早いですねって言われたかも知れない」
「えっ、それは、聞かない方が良かったかも」
『Q・Pの顔』が、苦笑した。
「キミって本当に優秀だね。ありがとう。まさか、何か仕事をさせてしまったのかな?」
「ううん。大したことじゃないよ。資料の整理をしていただけだから」
「本当にごめん」
「レンドールもボクの代わりに練習してくれたからお相子だよ」
「それはどちらかって言うと、楽しかったからね。うん。あんなふうにボールを追い掛けられたのなんて、久々だった」
入れ替わって困ったということは互いに間違いない。けれど、各々必要なことをして、大きな問題が起こらなかったのなら、それで良いのだろうとQ・Pは思った。
ただ。
「明日も戻らなかったら困るね」
「それは、大いに困る」
うーん、と二人はそれぞれの腕を組んだ。
「こればかりは僕にも対処法の検討が付かない。役に立たない大人で、監督で、ごめん、Q・P」
「そんなこと思ってないよ。ボクにもわからないし、こんなの誰にだってわからないよ」
それに、相手がレンドールだったから、不安にならなかったのだ。他の人とだったら、こんなふうに落ち着いていられたとは思えない。自分の身体で動き回られるなんて気味が悪くて仕方ないと考えただろう。Q・Pは人形と呼ばれるのが未だ嫌いだし、他人に自分が人形のごとく操られるのも耐えがたいことだった。
レンドールのことを、唯一の、特別な人だとQ・Pは思っている。ずっと昔から。たとえ傍にいなくとも、この人の心はいつまでも自分を守ってくれていたのだ。そして今、やっと触れることのできる距離にいられるようにって、そのことを確信している。レンドールは何よりも信頼ができる人だ。
しかしてそれは、この混沌の状況を打開できるということを必ずしも意味していない、とQ・Pは思う。彼なら不安がないのと、この状況に不安が拭えないということは、まるで別の問題なのだ。
「レンドール、今日はここで寝てもいい?」
「えっ?」
「一緒に寝よう」
「えっと、それは」
「レンドールは心配じゃないの? 明日もし戻らなかったらって……それならせめて、すぐ傍でその結果を確認した方がいいと思う。それに、傍にいる方が、また魂《ゼーレ》が間違って入ることがないかも知れないよ」
「うーん……それは、まぁ、あるかも知れない。かも……?」
でも狭いんじゃないかなぁとレンドールは言った。レンドールのベッドも、自分たちと同じでシングルサイズのようであるらしい。
「ダメだったら、ボクはベッドじゃなくてソファでもいいよ」
「それはキミの身体に負担が……いや身体の負担は僕の方に掛かるからいいのか? でもソファじゃQ・Pだって上手く眠れないだろうし」
「やっぱり、一緒に寝た方がいいよね?」
じっとQ・Pが見つめると、レンドールはひとしきり考えたようすを見せてから、慎重そうに頷いた。
「でも、これは特例だからね。今の異常な状況を踏まえての判断だ」
「もちろん理解しているよ。誰にも言わないから」
Q・Pは人差し指を、本当の自分の方の身体の唇に当てた。こういうのは、どちらがどちらに対して、やってもいいものかと考えるべきことなのだろう。今日一日中ずっと、自他のほどがわからなくなってしまいそうでいるのだ。
上手く「Ja.」の返答を引き出せた。これくらいのことならきっとまだ許されるだろうとQ・Pは考える。実際、明日どうなっているのかわからないのが不安なことは事実。結果は可及的速やかに確認して必要な対処法を考えねばならない。試合の日は刻々と迫っているのだから。
しかしどうあれ朝目が覚めたときに、今度こそ、目の前に愛する人の顔があったら最高だろう。たとえたった一度きりの機会になるとしたって、その朝を、永遠に忘れないだろう。
*
レンドールの寝付きは良い方だった。楽観的だからかも知れない。例えば無事に就職した先でほんの少しで退職することになっても、眠れぬ夜を過ごすことはなかった。明日が手探りでも、あの少年が――青い鳥が未来に羽ばたけるのなら、それだけで不安など何もなかったのだ。
だからその夜の方が、レンドールは少し眠りに就くまでに時間が掛かった。自分の状態のことならいい。多分明日には戻っているはずだ、と思える。ただ、Q・Pが隣に眠っているので。まぁ、身体は自分のものなのだけれど。全体変な話で、レンドールは少し意識して、自分を眠りに誘ってあげてから眠った。つまり羊を数えたりとか、そういうことだ。隣の寝息が聞こえる方が早かった。
夢で魘されることもまるきりないが、その日の夢も穏やかだった。蒼穹に青い鳥が羽ばたいている。レンドールはそれを遠く遠くに見つめて、知らず手を伸ばしていた。多分、あの鳥が振り向いてくれないだろうかとでも思ったのだろう。次の瞬間には鳥は舞い降りて、レンドールの指先に止まった。ああ、良かった、と思ったところで目が覚めた。
そして、横に自分よりも小さな身体が、美しい面差しがあるのを見て、ホッとした。昨日の出来事なんてすべて嘘であったみたいだ。いや、嘘ならこうしてQ・Pが横で眠っているはずはない……。
睫毛が揺れる。まぶたがぴくぴくと動く。彫像のように美しいその顔をしばしレンドールは見つめていた。他意はなく、美しい花を見て立ち止まったとか、素敵な絵画に足を止めたとか、そのような感覚だ。
「……ん……、レンドール?」
瞳が開き、その青い目がレンドールの顔を捉えた。そのときにようやく、人の寝顔を、それも教え子の顔をまじまじと見ていたなんて、少々振る舞いとして良くなかっただろうとレンドールは慌てた。いや、そういうつもりはなくて……。
「お、おはよう、Q・P」
「おはよう。良かった、元に戻ってる」
Q・Pは手を伸ばしてレンドールの頬に触れた。そうすることで、自分と相手とを正しく認識しようとするみたいに。ぼんやりと頬を撫でてから、その手がパッと離れた。多分、寝ぼけてした仕草だったのだろう。レンドールは薄く微笑む。
「あ……ごめん」
「いいよ。ちゃんと確認できた?」
「うん」
ほうっと息を吐くように頷くので、まるで女神がため息を吐いたようだとレンドールは思った。
いつまでも二人でベッドにいるのはあまり良いことではないだろうとレンドールは気が付いて、むくりと身体を起こした。
「もう少し寝ている?」
「起きるよ。ごめん、狭かったよね」
「いいや、大したことはなかったかな。キミは細いから」
Q・Pは身体を起こさないまま、じっとレンドールに視線を向けた。それから首を振って、スッと起き上がる。
「部屋に戻るね」
「うん。何か問題があったらいつでも言って」
「わかったよ。ありがとう、レンドール」
するりと去っていく後姿を見送って、レンドールはぼんやりと昨日から今日までの奇妙な出来事についてや、今朝の夢についてを思い返していた。あの青い鳥は、自分の元にまた戻ってきてくれるのだろうか。
こんな朝は二度とないのだろうとふと思いながら。
ワンスモア(タイトル)。
この「もう一度」は朝に掛かってます。
レンドールくんは大好きな青い鳥ちゃんのことを青い鳥って何も恥じることなく(やましいことがないので)言っているけれど、その呼称に見合うくらいに周囲から「Q・Pのこと好きだよね」と思われていたりするのでしょうか!?
多分Q・Pちゃんの方は本当は監督のこと大好きだなとかって誰も思ってないんじゃないかな~、でもレンドールくんってQ・Pちゃんにだけは対戦相手まできっちり選んで作戦伝授してるもんなぁ(実はとんだ贔屓ではないのか? と密かにずっと思っている)。やっぱり二人は特別ってみんなも思ってるのかも知れないね。そういう話だ!
いつもナチュラルに両想い♡で書くので両片想い(?)の二人も可愛いよね。愛で。